Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

昨日の続き、かな

2019年4月15日(月)

 

おはようございます

昨日は雨に濡れることがなく帰宅できました。

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気温が上がりポカポカ陽気で散歩したくなります。

昨日、城南治療室の高橋透先生の講座でも身体として当たり前のこと、自律神経の交感神経と副交感神経の話、歩くことの話がありましたが、まずはただ歩きに出てみましょう。

 

昨夜、帰りの新幹線でぼんやり考えたことや思い出していたこと。

私は講師として甘々。

伝えようと思っていたことをスコンと忘れてしまっていることが多々あったことに、高橋透先生の講習を受けさせていただきながら気づく。

参加してくださった方に申し訳なくて…次の機会にはお伝えし忘れないようにします。

本来分けることができない上半身と下半身をあえて分けるとしたら?というのは、その人が感じているであろう身体が浮かび上がってくるというおもしろい発見がありました。

何度かお話ししたことがあるので知っている人もいるが、それでも少しずつその人なりの分け方がある。

ではそこでいいのかというのは正解がないのでわからないですが、こういうことを問い直してみることで「手ってどこからどこ?」「足(脚)ってどこからどこ?」「お腹って?」「腰って?」「背中って?」「頚って?」…と広がってくることで、その人の中で身体が動き始める。

今度はその動き始めた身体を感じていくにはどうするか。

なんでもいいんですけど例えば、何かをやる前は足趾が外に向いている前屈で、やった後は内に向いている前屈で比較したらエラーですからどちらかに揃えるとか、もっときちんと評価するなら足趾を(特に2趾〜3趾を)前にして膝も同じ方向に向くようにして前屈なり後屈なり回旋なり側屈なりを観ること。

そこが曖昧なままですると、何がどうなってるのかは自身もそうですがわかんないです。

それは鈍感なのではなく、誤魔化しが効くし、都合よく当てはめられる(それに気づくには時間がかかるかもしれない)。

自身の中で違うという感覚はとても大切ですが、それが本当にそうであるかどうかを観ることも同時にあれば選択の幅も増えるんじゃないかと思います。

(主体性がカラダなのか、アタマなのか、その両方なのか)

 

っていうのを、講座でお伝えさせてもらったんですけど、受講してくださった皆さんがどう感じているかはわからない。

それはもう私の手を離れたことなので。

ですが、放っておくわけではないです。

疑問質問はこの先、私が存在する限り遣り取りさせていただきます。

私も都合よく当てはめて解釈していることが多いので、皆さんのおかげで気づくことができる。

またその辺りもお伝えできればと思います。

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!