Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

歩く、を書くと面倒臭いけど

2019年4月16日(火)

 

おはようございます

本日の予想最低気温が1桁、最高気温が20度超、とのこと。

食べ過ぎにご注意ください。

あと、水分&ミネラル補給をお忘れなきよう。

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「歩くことが修整」となる運動になっているかどうか、先日の高橋透先生の講習に参加する度に自身に問い直す。

すると、以前も観たことがあるロボットの進化から観る歩行やバランス(と私は感じた)動画がTwitterに載ってました。

https://twitter.com/kininarumirai/status/1117408722567909376?s=21

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投稿された方は「1歳児と11歳児」と書いておられましたが、私には年齢比較ではなくその人にとっての運動としての差異として。

歩くという全身運動か、歩くという部分運動か、という感じでしょうか。

部分運動では歩けないんですが、こどもはそれが逆に面白さなんです。

でも小学生の…そうですね高学年か中学生以上、大人は「歩くことが負荷」になってしまう。

靴に歩かされる人もいれば、膝下でしか歩いていない人もいれば、クネクネふにゃふにゃ、肩がすくまってる、などなど。

真似をしたらどこかを痛めそうな歩き方を見かけることが多い。

弟子の時の習慣で「え!?」となったら実際に真似してしまうことがあるんですが、歩けていることが逆に不思議に感じるほど辛い。

そんなことをしてたからか、ヒトとしての構造の強さがある状態で歩くのと、そうではないのとはそれなりに時間の経過が違う。

それでも変わり続けている身体なので余計なお世話なんですけど、せめて一定の間隔で歩いたら?と思います。

間隔というのは、歩幅だったり、リズムだったり、です。

左右の差があまりないところ、良い方に合わせるでもなく、悪い方に合わせるでもなく、その間。

地形が変わってもその間隔で歩けると、山に登ってても、少し急いで走ってもそんなに疲れません。

息が上がっても長引かずすぐ落ち着きますし。

こうやって言葉で書くと面倒臭いと思います。

これを書いている私がそうですから。

で、一定の間隔が難しければ、進行方向につま先と膝を向ける。

つま先が外向いたり、膝が内向いたり、多いですよ。

それだけでも繋がりだす身体が観えるとか観えないとか。

気が向いたらお試しください。

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!