2019年4月17日(水)
おはようございます
雨予報…
パリの大聖堂火災、モンキー・パンチ氏の死去、など哀しい出来事に目がいく昨日今日。
その中でも世には楽しいことも面白いことも怒ることもある。
なのにそれに目が向くのはなぜか。
そういう気持ち、状況が自身にもあるからなのかもしれない。
よくないことが起こっている、続いている、重なっているように「感じようとしている私」がいる、とアドラー心理学なら整理されるのかな。
だとしたらそれはなぜか、も同時に。
身体には恒常性があり、その範囲内であれば不調というのは然程感じない。
大きくその範囲を超えると、症状が重なったり悪化したように感じる。
それは何をしたからではなく、どちらかというとしなかったことの方が大きく影響する(と私は思うが、状況や状態によっては「しない」という能動性が改善の一手というのもある)。
それが「運動」かな。
昨日の投稿でも書いた歩くの他、階段昇降、しゃがむ、などスポーツやわざわざする運動ではなく、日常動作の延長となる少し「ハァハァ」息が上がるようなことをしてみる。
自律神経は常時、交感神経と副交感神経が入れ替わるように交互に反射している。
その中で交感神経が優位過ぎる時、副交感神経が優位過ぎる時、両方とも反応が低い時などがあり、それぞれで症状が出たり出なかったり。
落ち着けと言われて、力を抜けと言われてもしてるけどできないように、副交感神経を刺激、賦活するのはちょっと難しい。
ですが、交感神経を刺激、賦活するのは簡単?
それが「ハァハァ」する運動。
階段駆け上がったり、いつもより長い距離を歩いたり、ジャンプしたり、雑巾掛けしたり、でいいのだけど。
簡単ではあるけど、その後に少しゆっくりする時間も必要なので…といっても、駆け上がった後に電車やバスに乗って着くまでゆっくり、歩いたら景色のいいところでお茶休憩したり、ジャンプしたらゆっくり歩いたり、雑巾掛けなら雑巾を洗う・絞る、という感じ。
って、これは何をしてもそうです。
交感神経だけ、副交感神経だけ、というのはなく、ツルベのように上がれば下がるし、下がれば上がる。
それがより円滑になっていれば、大波の連続だけでもなく、凪の連続だけでもなく、さざなみの連続だけでもなく、いろんな波があればいいかと。
大波の人はちょっとだけ運動してみる、凪の人は少し大きく運動してみる、さざなみの人はどっちもやってみる。
症状の範囲内でできることで構わないですから、動いてみてください。
あ、ジムとかトレーニングのようなものはしなくていいですよ、マラソンとかトレイルランニングじゃなくてもいいです(負荷が大き過ぎて反動でグッタリしてしまいますから、そうならない範囲で)。
和の所作や武術はやってもらっていいです。
(これは教わったことを私なりに書き出したものです)
それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!