Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

目だけではない、見るということ

2019年4月19日(金)

 

おはようございます

7年前の今日、気温が25度を超え夏日だったと記録が出てきた。

ということは今年はまだ涼しいのかな…といっても、去年と比べても曖昧なのに7年前ってわからんです。

数字の上でしかわからない。

その程度の感覚しか私にはないです。

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昨日の足音を消して過ごす、そして気配を消して過ごす、を早速やってみますと仰ってくださった方がおられ驚いております。

でも足音にしても気配にしても、身近な掃除にも繋がる。

こういう身体で動いたら掃除も丁寧になる?というのは、いつもより視野が広がるというのもあるのではないかと。

もちろん、少しゆっくり動くからというのもありますが、その分、観る余裕ができる。

いつも手の届き損ねていたところに手が届くようになる。

 

1日は24時間、体内時計は24時間と数分(実際は個人差で25時間の人もいれば22時間の人もいる)。

このズレを修正するシステムが眼の網膜(桿体細胞、錐体細胞の他に第3の視細胞が見つかったとかないとか…で、その第3の視細胞が特に)に青色の光が(いわゆるブルーライトなんですが、LEDも太陽も月も出ています)入り、視交叉上核で受け取り調整する。

そう学びましたが、どうやらその光を感受するのは眼だけではなく、血管や皮膚にもあるということもあるそうです(「ブルーライト 体内時計への脅威」集英社新書、「体内時計のふしぎ」光文社新書などより参照)。

 

そういえば、伊藤亜紗氏の「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(光文社新書)で、同じ視覚障害でもそれぞれで見る方法が違うということが当人へのインタビューや関わりから見えてきたそうです。

その中で皮膚という目があることを知りました。

(私が思ういわゆる第六感は、五感の、特にこの皮膚感覚が研ぎ澄まされた状態だと思ってます、勝手に。)

 

足音を消す、気配を消すことで丁寧に動く身体。

視野が広がるというのは実際の眼の話ではなく、こうした五感の、皮膚感覚が養われるのではないかと考えている。

考えるといっても、想像、妄想の範囲ですから、なんら確立されたことでもなければ、それこそ独り言。

ただ、丁寧に、ゆっくり動くことでいつも以上に動けるんだとしたら、組織としても強くなるのでこうした皮膚感覚はいい意味で鈍感にも敏感にもなるんじゃない?と、放っておいたらダラダラ書いてしまうのでここらで終わっておきます。

ほんの少し、制限して生活、行動することで観えてきたことでした。

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!