Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

疑ってみる

2021年11月3日(水・文化の日) 10時〜19時

 

おはようございます

祝日(文化の日)なので短縮ですが開けてます

いつでもご連絡ください

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施術予約の際は此方でご確認ください

https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838

随時更新してます

(休診は赤短縮は青ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)

 

私たちは、日常のなかで発見することに夢中になった。あるひとつの言葉や考え方を頭のなかに転がしておくと、具体例は向こうからやってくる。探さなくてもやってくる。

_____企画 ホモ・サピエンスの道具研究会「世界をきちんとあじわうための本」(ELVIS PRESS)_____

「あるひとつの言葉や考え方」というのがその人の前提なんだろうな

私なら身体の構造・機能・恒常性になる

なので外を歩いていても周囲の人は気になる

どう見られてるだろうという気持ちの面ではなくて、この人の姿勢・動作がこうなってるってことはあそこがこうなってるからこっちがこうなるしかなくて…って具合に身体のことです

しぐさは、ことばにあらわれないその人の経験を明らかにしてくれるのである。

_____細馬宏通「介護するからだ」(医学書院)_____

と書かれてる通り、どれだけ患者さんが症状を訴えていても、身体の構造・機能・恒常性がどうなっているかの方が雄弁に物語っているからです

 

姿勢が変わりました、こんな動作になりました、など写真や動画に言葉を添えて発信している内容を見ますが、先日も書いた通り結果はオマケみたいなもので、どれだけ聞こえがいい言葉を並べても見る人が見れば内容がないことはバレてます

その過程や成り立ちを考えない、または考えさせないという発信の仕方は、発信側も受信側も「見たいようにしか見ていない」という加持祈祷占いの類いになり下がってしまいますのでご注意を

 

※これは自戒を込めて書いております

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!