Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

まとまらんかった

2022年2月4日(金) 9時半のみ

 

おはようございます

本日はゴールデンウルヴス福岡の試合帯同なので短縮

明日は休診となります

ご迷惑をおかけいたしますがご容赦ください

来週末、再来週末も同様です

 

下記URLからご確認ください

https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838

随時更新してます

(休診は赤短縮は青ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)

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感覚は必ずしも正しいわけではない

 

というのは昨日も書きましたし、時々書くことがあります

お茶を飲もうとして、コップを取り損ねることはそんなにないと思います

テレビを見ながらとか誰かと話しながらとか目線がコップに向いていなくてもできます

物を持つときにその重さが何キロ、何グラムとわからなくても、およそ持ち損ねることはありません

 

しかし、持つものの見た目が大きい時、構えて持とうとして上げてみたら存外軽くバランスを崩したという経験をされたことがあると思います

逆に見た目が小さいものをスッと持ち上げようとして存外重く落としたりこれまたバランスを崩したなんて経験をされた方もおられるでしょう

まあ重さがわかっていたとしてもそうなる人は少なくありませんが

 

物を持つときでも、それが高価なものとなったらどうでしょう

動物や赤ちゃんをその手に抱くときのような命に触れる時はどうでしょう

たぶんですが、あなたがバランスを崩すことはないです

そして畏れはあるものの緊張しすぎてガチガチなわけではなく、かといって取りこぼしそうな弱々しさでもない

それがちょうどいい瞬間だと思います

 

ただその手から放れたあとに自身を重く感じることはありませんか?

今までにない力の入り方をしていたんだなと感じる、または脱力するような感じ

ただ嫌な感じじゃない、どちらかというと心地好い疲労

身体の隅々までそこに向かっているということで、使い損ねがないというところでしょうか

 

普段いろんなことをして身体を動かしているという感覚や実感の元にいる人でもそうなる

ということは、その感覚は正しいわけではないということです(極端かもしれませんが)

山や砂浜を歩くだけでもそうなる

舗装された平坦な道をどれだけ歩くよりも、次の一歩がどうなるかわからない連続の山道や砂浜の方が、ね

 

自身の感覚だけに頼れば必ずしも正しいとはならない

長々と書きましたが、情報は自身の外側にあるので、いつもと異なる環境や条件で生活してみるのはアリかと思います

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!