2022年3月18日(金) 9時〜19時
おはようございます
今日から武田双鳳書法道場展「解放」なのに雨
地下鉄烏丸御池からすぐなので雨も気にならないか
一歩踏み入れたら出るまで雨のこと忘れるぐらい解放される空間となっていることでしょう(※個人的なイメージです)
盛会を祈っております
施術予約の際は此方でご確認ください
https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838
随時更新してます
(休診は赤・短縮は青・ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)
情報は誰でも簡単に得ることができる
しかし受信も発信もそれをする人の思惑が入り込む
発信する側だけではない
受信する側にもそれはあるのに、情報操作というのは発信側ばかりにくっ付けられる
人間というのは勝手なもんだなあ
と、息子となにについて話していたかは失念したが、そんなことをふと思ったことがある
徒手検査で筋の反射をみるのですが、これがまたおもしろい
・懸命に頑張って力を入れても抜ける
・なにも頑張っていないのに力が入っている
というのを、患者さんからよく聞く
これに限らず、徒手検査は情報の送受信を経験している(身体は抑、情報の送受信、電気信号で動いているんですけどね)
ワタシとカラダという境目がないやり取りをしているのをみています
にもかかわらず上記のようなことが起こるのはなぜか
大なり小なりの思い込み、希望的観測があるんでしょうね
調子が悪いからと来院する方でも、徒手検査をしていると「あれ?そんなに悪くない?」と言う方がいたり、逆に調子が悪くないけどと来院した方でも「あれ?全然あかんな」と言う方がいたりする
この瞬間、大なり小なりの思い込み、希望的観測が外れる
事実をそのまま受け取ることができるのか、整理できるからなのかわからないけど
施術の情報が受け取ってもらいやすくなっていく
その分、施術と徒手検査の荒さも顕在化するので練習し続けてます
なんせ、徒手検査は施術者の都合で(自覚無自覚どちらも)操作できてしまうから、仲間とともに練習してそれが入り込んでないか確認する必要があるんです
情報は誰かにとっての事実ではあるが、それが真実とは限らない
情報を送受信する上で、それが誰のなにに対しての事実かを吟味する余白がいるんだろうな
と、最近よく考えるようになった
映像も画像も簡単に加工できる時代
見たことが事実だと本当に言い切っていいことなのか
その画像や映像の外側にこそ事実があるんじゃないかと視野を広げてから考えても遅くはないですよ
というのも、施術でも徒手検査でも情報のやり取りは触れているところだけで行われているわけではなく、患者の全身、および施術者の全身でやり取りされている
だから触れているところが視点ではあっても周辺視野がどれだけみえているかも重要です
私の場合、すぐに視点が固定され視野が狭くなるので(未だに師匠にいわれるのでまだまだまだです…)
にしても、情報が氾濫してて偏ってしまう…
それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!