Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

無関心

2022年3月30日(水) 9時〜17時

 

おはようございます

昨日とは打って変わって温い朝

これで桜も満開に…

あした雨ちゃうかったっけ?

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施術予約の際は此方でご確認ください

https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838

随時更新してます

(休診は赤短縮は青ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)

 

"豊かな社会" の中に暮らして、無関心に支配されているということであった。

 

_____開高健 (写真・秋元啓一)「新装版 ベトナム戦記」(朝日文庫) 236項_____

 

1965年に刊行された内容ではあるが、この言葉は今の日本にもいえること

その中で関心を抱き、実践し、調べ、試し、また実践している人たちがいることを知る

そういう人たちを中心に人が集まっているように感じる

新たなコミュニティとみえるかもしれないが、逆で

辛さも一緒に味わっているような、かつて世界中がそうであったのだろうと感じる

 

嫌いということよりも怖いのが無関心

かといって奇を衒ったとしてもそれはブームで終わっていく

関心を集める方法が誰でも簡単になったからこそ、そこにはないのかもしれないとは思わないんだろうか

新型コロナで対面機会が減ったから余計にそうじゃないかと感じるけどなあ

情報が氾濫している世の中

関心を持って調べて、今度は削ぎ落としていくこと、判断していくことが必要なんでしょうね

 

施術もそうなんですよ

余計なことをしない

手技手法を学べば学ぶほどいつの間にかそれをすることが目的になっていて、患者の身体が情報過多になる

すると、たとえいい刺激、情報だったとしてもそれが負荷に転ずることがある

まあ抑、施術というか他者が身体に触れる時点で少なからず負荷をかけているんですけどね

だから施術の前後に徒手検査をするし、触れ方を深めていく

今、ここに至っている対面の出逢いが多くあった、あることは確かです

 

情報が上へ下へ過ぎ去っていく時代

目に留まったことについて、すこし深めてみてはいかがでしょう

お節介とは思いますが

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!