2022年4月14日(木) 9時〜19時
おはようございます
昨日は夕方に局所的な雨が降り、気温が下がった
買い忘れたものを買いに半袖で出ましたが冷やっとした
今日明日は雨とのこと
河川の水量が下がってたから少し戻るかな
施術予約の際は此方でご確認ください
https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838
随時更新してます
(休診は赤・短縮は青・ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)
日常の動作、所作は身体の構造や "まとまり" の知識はなくともそれに沿って動いている
便利が日常に入り込んで横着になっているのは確かだし、症状があったときに過ごした日常で動作を端折るようになっていることにどれだけの人が気づいているだろう
上書きされた状態はもう一度上書きしていく必要がある
便利を手放してみるのもひとつだし、所作を追いかけてみるのもひとつ
礼儀作法をちゃんと経験したことがない人は少なくないと思う
せいぜい盆暮れ正月や冠婚葬祭で大人がしているのを見て真似した程度
茶道、華道、書道など未経験ではあるけれど、洋服を和服に変えるだけで自ずとその所作になる
胡座や正座からぱっと立ち上がれるかなんてのは、身体が "まとまっている" かどうか
足首をこうして、頭の位置はここで、坐骨を…なんてのはコツではあるけど、抑まとまっていないとそれこそどこかを傷めることになる
日常の動作、所作を端折ることなく、便利を手放してみると、それだけでも流布されているようなトレーニングやストレッチをするよりはるかにいい
なぜか
どうしてもその部分に注目してしまうから
日常動作や所作はどこかの部分に注目するということはなく、営みが滞らないように、また滞ったとしても流れだすように動き続けているだけ
目的は人それぞれやし目的論もない
ただ身体の恒常性・構造・機能が当たり前に営むようになっている(結果的に)
靴紐を毎回解いて脱ぎ、履いて結ぶとか
踵を踏み潰さないように脱ぎ履きするとか
靴が減らないように歩くとか
しゃがんで靴を揃えるとか
足音を立てないように歩くとか
切れ味がない包丁を研ぐとか
布団の上げ下ろしをするとか
雑巾掛けをするとか
おんぶや抱っこをするとか
背凭れに背を預けるときはお尻が背凭れに着くように奥まで?奥に?座るとか
なんだっていい
なんだっていいけど、できれば上に挙げたように "しゃがむ・立つ" がより大きな日常の動作を端折らないでほしいかと
こんなことをわざわざ書かないといけないほど、日常が便利で端折ってることに違和がない社会なんだろうか・・・
それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!