Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

自戒を込めて(←何回目や)

2022年4月16日(土) 9時〜19時

 

おはようございます

肌寒い

明日はさらに気温が下がって一桁になるそうな

日中との差で着る服考えないとですね

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施術予約の際は此方でご確認ください

https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838

随時更新してます

(休診は赤短縮は青ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)

 

先日、師匠の勉強会で伝えた際に感じたことを考えてて

 

その変化や事象がわからないから評価や価値観でははかれないといっているのか

それともわかった上であえて言葉で誘導しないようにはかれないといっているのか

前提によってその意味は全く異なってくる

同じ言葉だからこそ、その意を汲めという人がいるけども、あんたの背景なんか知らんがな

と、突っ込みたくなる

まあそんな前提や背景を問い直してみるきっかけになるのでありがたいなとも思います

(お互い様やと思うけど)

 

なぜ今それが起こっているのかというのは、様々な事象の今の結果として現れているから一概にこれとは断言できません

身体のことに関しては(身体に関しないことはないと思うけど)可能性の一つとしてお伝えできることはお伝えしています

ただそれを拡大解釈するのも歪曲するのも第三者

当事者ですら都合解釈する可能性があるからこそ、伝える際にとても気をつける

言葉は人によって解釈が変わる

その人の経験によるところが大きいので伝える側の前提と受け取る側の前提がある程度共有されていないと難儀である

 

他者の身体に触れるということは(直接にしろ間接にしろ)言葉以上に伝わることがあるので、言葉にするのはより高度な作業になる

だからこそシンプルに、木を見て森とかいわないようにする(木は木でしかない、それがどんな木かはそれこそそれぞれの深め方だろうから)

事実の羅列でも伝わらないが、事実を事実として伝えるには何が何に対しての事実かを伝える必要がある

だから視覚に訴える画像や数値による事実がどこかかけ離れてしまう感じや空疎に感じるのかもしれない

逆に想像を掻き立てられるのもあるけど、ここは個人の勝手

 

今まさに直接にせよ間接にせよ触れる・触れていることで起こっていることに対して伝える際は、身体の恒常性・構造・機能が主体なのか、思考・感情が主体なのかは弁えておいてほしいところです

そして身体の恒常性・構造・機能が主体なら、ある程度言葉を用いてほしいところです

拡大解釈や歪曲、都合解釈が限りなく起こらないように

 

私の過去に自戒を込めて記しておく

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!