Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

その前に

2022年5月7日(土) 9時〜19時

 

おはようございます

朝起きて窓開けて涼しい風

春の匂いが少し変わってきたように感じた

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施術予約の際は此方でご確認ください

https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838

随時更新してます

(休診は赤短縮は青ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)

 

昨夜は1回2回は途中で目が覚めましたが比較的ぐっすり眠れたようです

そりゃ寝不足の翌日やし寝るわな

滅多にないけど続く時があるから油断ならん

かなり辛いので

 

地に足をつける

 

というのは、「物事を少しずつ、確実に進めていくこと」という意味の言葉となっている

身体としも、立っている時だけでなく座っているときにも、地に足裏をちゃんとつけておいてほしい

施術や講座を受けてくれた方はご存知だと思いますが

 

環境として、机や椅子の高さが合わない人も多いかと思います

高ければ足台を置けばいいし、低ければモニターやキーボードを高くすればいいかと

脚が長くて机に膝が当たる人は、すみません、いい考えがありません

立ってやると云うのも一つだと思いますが、それこそ机が低すぎることがあると思いますので

 

足が地から離れて行っている運動というのは不安定で、足が地についている時以上に情報が多くなる

だから壁やモノに上体を預けて安定させて情報を減らし安定させようとする

これは無自覚に行われていることですが、実はモノを介するので情報が逆に増え、より不安定となる

モノを介するというのは悪いことではなく、不便さ、不安定さを補助する、安定させるには欠かせない人もいる

ただ、そのモノまでが身体の一部となるか(付帯伸長化というらしい)そうでないかでは異なってくる

 

モノに感覚はない

ということはそれに触れている私の身体がどうなっているかで、そのモノに感覚が宿る(ようになると思われる)

モノに触れるということはそれ以前に、抑、身体がどうなっているかを問うてみてはいかがでしょうか

 

あっ

モノだけでなく、他者に触れることもそうですよ

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!