Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

個人的なことです

2022年5月20日(金) 9時〜19時

 

おはようございます

曇りですね

今年は五月晴れが続かないなあ

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施術予約の際は此方でご確認ください

https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838

随時更新してます

(休診は赤短縮は青ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)

 

いつか忘れたけどTwitterFacebookでみつけた言葉

教師という仕事の良さの一つに、

自分が受けたかった授業を、

自分の子どもたちにプレゼントしてあげることができるということがあります。

受けられなかったけど、

授けることはできるのです。

(池田修)

 

教師でなくても大人が子供にしてあげられることの一つがこれだなと思う

でもね、子供から経験を奪っていないかは問い直したほうがいい

大人になって危険と判断できるようになったのは危険を経験したからなのに

命に関わるようなことを態々経験させる必要はないけど

転けてはじめて転けないようにできるし、転けた時に対応できる

うちは歩き出した頃から転けても抱き上げることはしていない

手を繋いでる時に転けた時か道路で往来が激しい時以外は、自己責任

泣こうが喚こうが自分で転けたのだから自分で立ち上がるまで待つ

立ち上がってから抱き上げて痛いところがないか訊いたり、痛くて泣いているのか転けたことに驚いて泣いたのかみる

転けて立ち上がって泣いていなければ声をかけるだけ

抱き上げるのは泣いてる時だけ

転けてもよほど擦りむかない限りは泣かなくなりました

たぶん、転けて泣いた回数よりも怒られて泣いた回数の方が圧倒的に多いと思う

反省してます

 

学校では自転車に乗る時にサンダルは履かないようにと指導されている

脱げたりタイヤに巻き込まれたりするからということらしいが、サンダルの種類にもよるし、日常でサンダル履いて走り回っても脱げないぐらいの身体を、運動機会を奪っておきながら脱げるからとは安易な判断である

大人が責任取らないようにしてるだけ

というか、靴すらまともに履かずに落とす子がいますけど?

それはどんな指導をするんでしょうね

身に着ける以前の身体や道具の扱いの指導もせずにどの口がいうてんねん

大人は機会を奪わないこととどうなっても責任を取る覚悟を決めること

後悔は常に付き纏うし

 

いちいち云うようにしてようやく靴の踵を踏まずに履くようになったRen

今度は紐履です

脱ぎ履きするたびに紐を解いて結ぶように云う

それが面倒臭いのであれば裸足かサンダルで行けばいい

面倒臭さを感じるのなら面倒臭くない方を選べばいい

それでもそれを選ぶなら、面倒臭さではなく手間を惜しまない、手間をかけると転換すればいい(難しいやろうけど)

転ばぬ先の杖となるように

転んでも大事ないように

絶対はないけど、尽くすことを経験しておいてほしい

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら指導