2022年9月9日(金) 9時〜19時
おはようございます
涼しい夜でしたが、雨で動くとまとわりつくように暑くなる
気温差が7℃以上となってき…といっても、年中そうなってきたようにも感じるけど
気温差が大きくなってくればくるほど、着替えのシャツを持ってお出かけください
体調崩しやすくなりますからね
台風12号発生しました
施術予約の際は此方でご確認ください
https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838
随時更新してます
(休診は赤・短縮は青・ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)
専門的哲学者というものは、
どのような気質をもった者であっても、
哲学するに当たっては、
自己の気質という事実をつとめておし隠そうとする。
気質が論拠になるなどということは伝統的に承認されていない、
そこで専門哲学者はその結論に拠って来たる理由としてただ没人格的な論拠のみを主張する。
けれども実は彼の気質の方が、
これよりも厳密の客観的な前提のいずれよりもいっそう強く哲学者の傾向を定めるのである。
気質はそれぞれ哲学者に直接の証を与えて、
あるいは感傷的に傾く宇宙観を抱かせ、
あるいはむしろ冷酷な宇宙観に走らせたりする、
それはちょうどこの事実なりあの原理なりが行うところと同じである。
哲学者は自己の気質に安んじて身を委している。
哲学者は自己の気質に適する宇宙を求めるがゆえに、
それにかなった宇宙解釈であればどんな説でもそれを信頼する。
彼は自分と反対の気質をもつ人々は世界の性格と調和しないものと感じ、
彼らは、
たとえ弁証の能力において遥かに彼を凌駕していようとも、
哲学の仕事にかけては無資格なもの、
「それにあずからぬ」人であると心ひそかに考える。
しかしながら公の論壇においては、ただ自己の気質を根拠とするだけでは判断力の卓越さや権威を要求することはできない。
ここにおいてわれわれの哲学的議論には一種の不誠実が生じてくる、
すなわちわれわれのすべての前提のうち最も有力なものに決して触れないという不誠実である。
2020年に出逢いがあり「プラグマティズム」という言葉を初めて知り、本を探して買って読み、この引用した部分は生涯問わないとと思ってFacebookに記しておいたもの
毎年9月9日に振り返れるように
日付が変わって3回ほど読み返している
「哲学」を「伝える」に、「(専門的)哲学者」を「専門職」に、置き換えて読んでみると途端に怪しさを纏いだす
今に限らず、流行した事象に発信者が印象操作をしていることや、そこから何を学び獲るかという受け取る側が試されていることがわかる
救いは最後の「すなわちわれわれのすべての前提のうち最も有力なものに決して触れないという不誠実である。」
学ばせてもらっている先生が必ずこの前提や、抑を問うことを課題として一番に伝えてくれる
鮭の遡上ではないが、一つの事象から抑に遡れるように問うてくれる
でもこれは日常で抱いていたことがあるからであって、自分のすることを疑わず、伝え聞いたことを鵜呑みにしていては、問われても「はあ?」となるだろうし、違うかもしれないということをムーディ勝山、右から左に流すだろう
「われわれのすべての前提」は、伝える人のどこまでの範囲かによって変わってしまうのが前提
抑を問えば、前提は自ずとある状況、状態、条件のうちの出来事に過ぎないということがわかる
ただ何かを伝えようとした時、抑に沿っていたとしても前提があると伝えやすい、伝わりやすいのもまた現実
その間を揺れながらではあるけれど
不誠実になっていないか、また来年もこうして考えてみよう
それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!