Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

恒例

2022年12月31日(金) 要望あれば施術します

 

おはようございます

といってももう10時過ぎてますが

朝からいつも通りのことをやっとりました

投稿すんの忘れてた

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2023年

年始は、4日から平常通り開けます

 

昨日は午後から一昨年から12月30日恒例になった某私塾の勉強会@京都で、講師&受講してきました

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私の中では18歳で弟子入りして(今現在も)相当悩み考え取り組んだテーピングが身体に触れることで、どういうことが起こっているかを、私なりに表してみました

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テーピングといっても私が扱うのはいわゆるキネシオテーピングで、ホワイトテープの固定などではありませんが、それなりに表し、お伝えできたと思います

 

私からすれば、テープも鍼も手技も道具です
モノを介して触れるのか、直に触れるのか、という違いはありますが、いずれにせよ触れる対象は変わりませんから、道具は違えどやっていることは同じです

 

ただ、施術する場所に優先順位があるように、道具も扱う人によって優先順位があります

ありますが、対象が施術を受ける(と同時に施術者の)身体なのか、施術するための道具を使うことなのか、は決定的に異なります

 

直に触れることとモノを介して触れることの差(優先順位も含め)は、それなりに(技術として)成り立っている人に表してもらうとその違いは明確です

 

結局のところ、私がお伝えしたかったことは、モノを介して触れる(触れている、触れた)場合、外す、剥がす、やめるタイミングを違えないでください、ってことです

 

今回はテーピングでしたが、サポーターや身につける何か、も同じです

 

サポーターにしてもテープにしても、モノですから、そこに意志はないわけです

 

にもかかわらず、まるでモノに意思があるかのように、それが良いとか悪いとか云うわけです

良いも悪いもそれを扱う、または身につけているその人の身体の恒常性、構造、機能が、それなりに応じている表れに過ぎないのに

 

ダラダラ書いてますが、身体に対して道具を用いるのは、固有感覚受容器のエラーを修正する為です

 

固有感覚受容器がエラーを起こしている身体は、例えばですが、暑ければ汗をかく、寒ければ震える、という応じ方が起こらない、起こりにくい

 

打撲でできた青タンがいつまで経っても全然取れないどころか薄くならない、とか

 

すみやかに、かつ、その環境に素直に、適切に、身体が応じられるように、これからも施術と施術で扱う道具をこうした話を真剣に面白おかしく聞いてくれる仲間とともに深めて参ります

 

という、2022年最後の投稿でした

 

ありがとうございました


2023年もどうぞ宜しくお願い致します

 

追伸
手は道具なのか、どうかはわかんないです
分けることができない身体なので
でも、身体が成り立ってない手は凶器になり得ることはわかってます