Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

施術と庭と芸術と苦手と

2023年1月17日(火) 9時〜19時

 

おはようございます

雪降らんかなと夜明け前に目覚めた時の冷たさでは感じましたが何もない

もっと冷え込まんとあかんな

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施術予約の際は此方でご確認ください

https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838

随時更新してます

(休診は赤短縮は青ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)

 

たった1か所への明確な手技が同時に全体にも明確な変化をしているか

 

木も森も見る

木だけでもなく、森だけでもなく、どちらも視界の中にはある

どちらにフォーカスするかはそのときどきだろうがどちらにフォーカスしたとしてももう一方がみえなくなることはない

ただ見失っていることはあるだろうけど

 

昨夜偶々変えたチャンネルで、庭園の向こう側の山まで含めて手入れをしているという庭師の方の仕事を放送していた

庭園の松の上に飛び出したかのように伸びている竹を2本伐採

庭石の掃く方向は観る方向と平行に

苔などの上の落ち葉やゴミは手作業で拾う(両手で拾っていたが、最初や素人は片手でしか拾えない)

などなど

 

昨年読んだ数少ない本の中で原田マハ風神雷神」がある

その中に出てくる洛中洛外図屏風の描き方を読んでいて同じことを感じていた

 

芸術であろうとも、数学であろうとも、文学であろうとも、施術であろうとも、同じだなと

どれも苦手なことばかりやなと、学生時代を振り返っています

好きなことをするには体力がいる

苦手なこともするという体力が

苦手なことに正面きってするよりも好きなことを通してやるからそんなに苦じゃないけども

 

その道の専門の方が解説していることを見聞きすることで、苦手なことがただ苦手なだけじゃなくなるのは通じることに身を置いているからかもしれないが、自分のこととして観れるようになったのかもしれない

芸術はそんな遠くにあるものではなく、身近にある

季節の移り変わりは自然であっても、寺社仏閣に観に行くとそこは人の手が入った芸術でもある

何が自然で何が芸術かはわからんが

そう思う私がいる

 

夢中になるっていいなと改めて思う

こんなこと全部関係ないもん

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!