Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

無題

2021年8月31日(火) 9時〜19時

 

おはようございます

昨日は昼前には除湿ではままならず冷房に切り替えました

三沢のあの涼しさが恋しいと思っていました

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施術予約の際は此方でご確認ください

https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838

随時更新してます

休診は赤短縮は青ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)

 

理解は時間とともに進行してゆくものだから、あのときはわからなかったけれどいまだったらわかるということも生じる。あるいは逆に、何かが見えてしまうと、それが他に波及していって、いままで自明だと思っていたことのすべてが問いの対象へと裏返ってしまうこともある。ありとあらゆるものを一から問いなおさなければならなくなり、そうして世界を見る眼それじたいが変わってゆく。そのあいだにはもちろん激しい抗いもある。だから理解はジグザグに進んでゆくほかない。そしてそのうち、すぱっと割り切れる論理ではなく、噛んでも噛んでも噛み切れない論理の方が真実に近いといった感覚が、知らぬまに身になじみだす……。

_____鷲田清一「わかりやすいはわかりにくい?ー臨床哲学講座」(ちくま新書)_____

 

数年前にこれを経験?自覚?した

それ以降、当たり前ってなんやろ?と考えるようになり、そもそも身体って?と問いながら身体について学ぶことになっている

そしていま、機会を得てスポーツの場でも実践することとなっているのが「とりあえず身体に訊いてみよ」である

なので現場でやっていることはなんら特別なことではない

いつもの施術や講座でやっていることのみ

それ以上でも以下でもない

 

正直、スポーツってその競技種目の習慣があってそこから外れることを伝えると徒労に終わることが多い

聞く耳持たずと思っていましたが、私の伝え方がまずかった

私がその競技種目に合わせるのではなく、あくまでも身体の構造・機能に沿って伝えることしかできなかったんだと気づいた

なので今はそんなに現場は嫌じゃない

あ〜でも今の現場は監督にいい意味で丸投げしてもらってるからってのがある

監督と同級生という面で選手が聞き耳立ててくれているってのもあるかもしれない

環境に恵まれていることもありつつ、でも私ができることを施術を通して伝え続けていこうと思います

それで彼らの中で引用した内容が起こったら面白いなあ…という期待はやめておこう

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!