2023年6月9日(金) 9時〜19時
おはようございます
どうやら台風3号が予測よりも遅いみたいで来週の甲子園は雨天中止かも
阪神は打ってるのになあ
施術予約の際は以下のURLからご確認ください
https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838
随時更新してます
(休診は赤・短縮は青・ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)
受傷114日目
術後にやっていた運動を最近はめっきりしていない様子のRen
気分変わるかなと伏臥位の運動を仰臥位に転用
案の定、自分のやりたいようにやる運動に変換してしまう
構造に沿った運動は都合が悪いんやろな
あんたの都合は聞いとらん
身体の構造に沿って粛々と、ゆっくり、丁寧に、動いてあげて
久しぶりにちょっと引用
世の中には健康になるためのノウハウがたくさん出回っている。
「これまでになかった!」「これさえやれば大丈夫!」と銘打ったフレーズを何度目にしただろうか。
(中略1)
そもそもを確認しておくと、「これまでになかった!」「これさえやっていれば大丈夫!」が周期的に訪れるということは、これまでになかったわけでも、これさえやっておけば大丈夫なわけでもないということだ。
「同じことを繰り返せば同様の結果が得られる」という見過ごしがちな信念はけっこう狂気じみている。この世に同じ人間はいないし、同じ時は流れない。あの人と同じことさえすればいいはずだと信じられてしまうのは、本当はおかしなことだ。
それに多くの人が言う「再現性」は形を真似たパントマイムを言っていて、そのときに見過ごしているのは物事が再現されているように見える中にある一貫性だ。
結果から結果を導くことはできない。
原因はいつも「わからなさ」のベールに覆われている。だから探求することが必要になる。脳だとか社会、性別、トラウマとかに根拠を安易に求めないくらい、原因は深みにあることだけはわかる。
(中略2)
幼い頃に起きたことがそもそも結果でしかなかったら?という問いは明確な答えに行き着かない。成育環境が問題だとしても、その原因を突き詰めるほどにわからなくなる。不具合が生じるような環境に生まれなければならなかった必然性がわからないからだ。
(中略3)
僕について言えば、現状抱えている心身の問題の原因を的確に表せば「生まれてきたことにある」としか言えないし、「結果として起きたさまざまなトラブルも「そうだからそうなった」というのが最も適当ではないか。「そうだからそう」という状態を請け負うのが人生のスタートで、生きることにまつわるあらゆる責任は、その自覚から生まれる。
僕の歪んだ身体や不穏になりがちな心は良いも悪いもなくて、そうだからそうなっている。ということは、理想とかあり得たかもしれない自分だとか、わざわざ自己肯定感をこしらえて、「それも自分の個性だ」という必要もない。
尹さんの著書はいつも「わからなさ」と「そうだからそうなった」の間(あわい)を丁寧に書かれている
と、私は思う
過去の著書でも「あ、これ」というのがあるが、この本では一冊を通してこの引用した部分が私の身体に染み渡るように読んでいた
(もしこの本を手に取られたら、中略2と3を読んでほしい)
身体の恒常性・構造・機能はほぼ変わりはないが、その人が生きることは同じではない
にも関わらず、他者の良し悪しを自己に再現しようと真似ることの違和感は狂気を感じていたのかもしれないと
伝える側がその場が狂気じみていくことに無自覚だったり乗っかってしまったりすれば、それはまあもちろん受け取る側の問題でもあるけども、無責任と言わざるを得ない
患者さんで時々、自分の身体を他人事にしたり投げやりになってしまう人がいる
自身を他人事にされると、私はその人と少し距離を置いてしまってた
もちろん身体との距離は変わらんのですが、その人とは距離を遠ざけてた
という私に気づいた時があり、未熟の一言だった
人間なので感情はある
だが感情に振り回されたらあかん
その感情は、何をもって、どこから引き出してきたのか、を問うようにした
少しは距離が遠くならなくなったが、まだまだ(もしかしたらこのぐらいがちょうどいいのかな?)
などなど、この引用部分を読んでから何かあると問い、考えることが続いている
まあ今はそんな時期なんやろうな
それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!