8月10日(土)、11日(日)
ひもトレFESTIVALが開催されます。
http://himotore-fess.peatix.com/
DAY1は満席だそうですが、DAY2は若干の空きがあるそうです。
ショヒモトレをさせていただいている武田双鳳先生がDAY2・Session1に登壇されます。
藤田五郎先生と浜島貫先生のSession3はこの機会でしか聴けないのはもちろんですし、過去に発表してくださった症例の今を知れる(かも)のも楽しみの一つです。
他にも多ジャンルの方が登壇されますので、ご一緒にいかがですか?お盆ですけど。
個人的な楽しみはお初にお目にかかれるカウンセラーの梅崎一郎氏です。
此度の講師陣の写真を見た瞬間に驚きました。
右が梅崎氏なんですが、そうなんです。
水どうのディレクターである藤村忠寿こと藤やんにそっくり!
勝手に親近感が湧いてます。
内容と関係ないところではありますが、こういうこともキッカケとなると都合よく解釈してます。
つじ視点のヒモトレ。
ヒモトレの面白さは、ヒモトレをして身体を動かした時、同じ身体なのに運動の質感が同じじゃないということ。
でもそれは異質のものではない。
身体は同じなのだから違うとも異なるとも言えないところがもどかしくもあるが面白い。
言葉にできないからこそ面白いヒモトレ。
しかし施術者として観ると、ヒモトレに限ったことではないですが、何かをする、身に付けるということは「感じたいように感じることができる」ところは、怖さとしてある。
効果効能を謳っていないはずのヒモトレが、いつのまにか効果効能を追い求めてしまう一面が見え隠れするようになっている。
確かに、効果効能というのもキッカケであるが、そこから入ると抜け出すことが難しくなっていると私は感じる。
スポーツでも書道でもそうであるが、何をするのも身体は一つであり、同じである(厳密にいうと同じではないのですが)。
スポーツをする時、書道をする時、それは日常生活の延長線にあることなのに、なぜか切り離してしまう。
特殊なこととして扱われてしまうのだが、それこそ症状が特殊なことと捉えているのと同じく、こういう動きをしたいからこういうヒモトレをする、という対症療法になってしまうことで余計に身体本来を見失ってしまっているように感じている。
年に一度?開催されている「ひもトレFESTIVAL」という場は、今一度ヒモトレってなんやろ?というところに立ち還ることができると私は思う。
そして、多種多様な方が登壇することで「ヒモトレから観る身体の可能性」を、それぞれの共通するヒモトレの良さが感じられるのではないでしょうか。
8月10日〜11日、東京江戸川区のタワーホール船堀で開催される【ひもトレFESTIVAL】でお会いできることを楽しみにしております。