Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

【甲斐】がないも目指すところ

2019年1月5日(土)

 

おはようございます

雨音で目覚め、雨音の子守唄で二度寝し、いつもより少し遅く起きた朝。

本来なら雪なのかな。

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自然のすることですから、どう受け取るかという人間次第。

 

昨日の施術で感じたことは、どうやら定期的に来てくださる患者さん自身の体がよき方向にあるなと。

だるま堂の中西先生のお言葉を借りるなら「整おうとしている体」に委ねられているといったところでしょうか。

施術をする側も受ける側もどうしても「施術をした・された【甲斐】」をどこかで求めてしまうため、刺激が強くなってしまう。

患者さんが「もっと圧して、もっと(鍼を)響かせて」というのが最たるもの。

確かに刺激を感じることはあるんですが、それが必ずしも必要なのかどうかは正直申しまして未だにわかんないです。

わかんないですが「整おうとしている体に刺激が負荷になっていないか」を考えることは常に考えてます。

でもそれは同時に患者さん自身にも考えていただきたいこと。

今の体を一番知っているのは「私(体)」であり、知らないのも「私(頭)」です。

施術をする側がそれを知るには、触診、徒手検査、化学検査などで客観的に知ることはできますが、それが全てではない。

ですが、知っている体と知らない頭の間を、距離感や時差を限りなくゼロに近づけることにそれらがなると思います。

 

で、患者さんの体がよき方向に向いているなというのは、加齢とともに衰えるとするなら回復する、自身で治癒する力も衰えると思うのですが、過去の同じような症状に襲われても症状が緩和するのが早い。

同じではないというのは十分承知しておりますし比較対象になり得ませんが、リカバリーが早いというのは日常生活でストレスが減る。

そのお手伝いができてきたのかな(といっていいのか?)とちょっと過信。

実際は、患者さんが自身のよき方向に向かわせてくれているから。

ありがたいことです。

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!