Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

私の中に上はあっても下はない

2019年1月28日(月)

 

おはようございます

今日も冷えました。

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土曜の夜〜日曜の朝まで珍しく一度も途中覚醒なく眠ったと思ったら、日曜の夜〜今朝までほとんど眠れず。

その理由は昨日の勉強会で気づいたことがあったから。

それをTwitterに書いてから眠気がすっ飛んでどっかへ行ってしまった。

 

【今日の勉強会で改めて自分の出来なささ、甘さに気付かされた。高橋先生、森谷先生、佐藤先生、及原先生に触ってもらった感覚がより明確に思い出されて、打ちひしがれている。丁寧に、テンポよく、確実に、地道にやり続けるしかない。お稽古、修練ってこういうことなのかな。落ち込んでる場合やない。】

 

日々当たり前にやっていることが当たり前でないと感じた時の衝撃ったらないです。

日々それは感じていたことやしその都度修正しているんですが、同業他者に伝える立場に立つとさらに容赦無く襲ってくる。

これでは甘いどころか甘々。

砂糖入りではなく砂糖そのものを食べているような甘さ。

焦らない、急かない、テンポよく、丁寧に、確実に…過不足ない自身を先ずは知ること。

触診も徒手検査もそれ自体が施術になっていくというのが本来です。

ですが私の場合はまだまだ負荷になってしまっている。

それは症状を抱えて来院された方にさらに苦痛を与えているということ。

そして鍼なり手技なりでさらに負荷を与えている。

たまったもんじゃないですよ、来てくださる方にとったら。

 

他者に触れるということが如何に繊細であるか、医療の端っこにいるからこそできること。

もっと深めていきます。

負荷にならない、触れることが施術になるように。

今後とも何卒、何卒、宜しくお願い申し上げます。

上には上があるが、下はない。

昨日の私より今日の私は経験し成長してるんやから。

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!