Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

部活動でもできることの1つ

2019年3月7日(木)

 

おはようございます

夜中雨でしたが昨日頭痛があった人いるんやないやろか。

無理せず、でも少し、ほんの10秒でもいいので運動をしてみてはいかがでしょう。

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先日、初めて感染したBリーグ京都ハンナリーズvs滋賀レイクスターズ

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隣同士で拮抗した戦績だったが今回は京都が2戦2勝と価値を伸ばした場面に、初観戦のRenさんは大喜び。

試合開始直後に点が入ったら子供は盛り上がりますわな。

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にしても、日本の球技はどうしてあんなに応援が派手なんやろか。

攻守がめまぐるしく変わるスポーツで静かに見守るというのはないのかな。

チャント無しの日があってもいいと思うんですけど、エンターテイメント性が競技より目立っているような、でもそれはそれで盛り上がってるし…

スポーツ観戦が好きな私には応援も醍醐味と思う反面、静かでも熱い応援も醍醐味かなと。

その競技の音、ボールの音、選手がぶつかり合う音、バッシュと床を捉える音、響き、振動…も感じたい。

そんな日、あってもよくないですか?

 

日本のスポーツ競技は国際化が進んでいるのに(というより海外に発祥があるのに)国外選手とのコミュニケーションが危ういと感じる。

チームはもちろん、審判も。

これはバスケットボールに限らず、サッカーでも野球でもバレーボールでも。

テニスでは審判が各国の他者を罵倒する言葉を覚えているという。

競技として、競技者としても成長を促している取り組みだと思う。

VTR判定が導入される競技も増えてきているが、それ以前にコミュニケーションが取れているかどうかはもっと必要ではないか。

日本語すらままならないのに、という方もおられると思うが、対戦相手がいなければ成立しないスポーツでは必要なこと。

相手にもチームメイトにも、そして観客にも敬意を伝えるために。

ルールを学ぶこと、外国語を学ぶこと、そういう練習の日があってもいいんじゃないだろうか。

…という、軽練の提案でした。

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!