Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

美術から学ぶ解剖学

2019年3月23日(土)

 

おはようございます

今日は昨日ほどの寒さではないです。

昨日は日中でも風が強く気温以上に冷たく感じた日でした…って、患者さんから聞きました。

日陰の肉体労働者には縁がないので。

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イチロー選手の引退会見の言葉を大切にしたいから、いつも以上にテレビを見ない。

テレビはその番組や局の都合で切り取るの部分ばかりなので好きじゃない。

全体をきちんと自分で見聞きすれば、報道バラエティ番組は見なくなる。

そんなテレビの話はどうでもいい。

昨日は、待ってました!という読めない本が届きました。

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タイトルですらも読めない。

美術の関連書籍だと思うのですが、動物や人のデッサンが古代の壁画から現代までのさまざまな絵が詰まってます。

解剖学の本でよく見る原本?原図?ばかりで見飽きない。

もちろん写真もあるのですが、中には見れない人もいるなという衝撃を受けるものもあります。

ですが、私にとってはそれも必要なところ。

医学が解剖学から始まるように、美術も解剖学が必要というのを三木成夫先生の著書を通じて知りました。

それからなんとなく興味を持っていたのですが、先日Twitterで伊豆の美術解剖学者さんの投稿で知ったので購入。

どうやって写真がない時代にこんな躍動した動物を精緻にスケッチできたんだろうか、と思っていたことも知れたし(これが見れない人がいるやつ)、デッサンから知る人体構造の面白さを味わってます。

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医療でもそうですが他者に触れることを生業にするのであれば最低限こいうことは知っておかなければならない、と専門課程で勉強するんですが、こういう本を見るとその内容の甘さに気付かされます。

最低限の入り口に立っただけということを実感してます。

国家資格はあくまでスタートライン。

ここからどう学びどう深めていくか。

その中で師や仲間と高め合ったり深め合ったりするのではないか、そう実感しています。

解剖学と名のつくものは医の東西だけでなく、こうした美術などからも学ぶ、また問い直す機会です。

もう終わったであろう国家試験に合格された皆さん、今後の参考にしてみてください。

 

で、本日はすでに新快速に揺られながら勉強会へ向かっております。

なので、臨時休診です。

ほんと申し訳ありません。

ですが、また月曜日からほんの少しでも施術が負荷にならない施術に為るように学んで参りますのでご容赦ください。

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!