2019年3月26日(火)
おはようございます
気温差が大きくなってますが、桜が咲き始めました。
寒いけど春です。
これから夏、秋、冬、そしてまた春へ。
季節が移りゆくこのよろこびを今日も味わいながら、今を生きる。
施術は直接他者に触れるという、触れる側の意思でどうにでもできてしまう恐ろしい業です。
というのをいつの頃からか感じ始め、その感覚は年々強くなっている。
だからこそ「触れる」ことを突き詰め続ける。
施術の手法や理論、方法論ではなく、それ以前に触れること。
触れることが手当てになる、というのは実は当たり前ではない。
師匠から教えられたことの1つに「鍼の入る速度と鍼を送り込む速度」があります。
これが一致しないと組織を "噛む" んです。
余計な痛み、負荷を負わせることになる。
しかし個々人で組織の弾力、強さが違う。
ということは、鍼が入る速度も鍼を送る速度も異なってくる。
それを安定してできるようにするためには、それに対応できる自身が必要。
右も左もわからない18歳の洟垂れ小僧にそれを示してくれた師と兄弟子。
キネシオテーピングも同じで、初級講座で教えてくださった小山先生には今でも感謝してます。
日常的に観ていることを丁寧に教えてくださいました。
手技の可能性を広げてくださったゼロバランス協会会長には、いろんな基本ができて初めて方法に繋がるということを示していただきました。
そしてヒモトレと出逢い触れることの繊細さが深まり、昨年は高橋透先生に出逢いそれを検証すること、改めてそれは触れ方であると学ばせてもらうことになっている。
こうして「触れる」という視点から振り返ってみると、ずっと学び続けているし、示してくださる方と出逢い続けている。
本から学んでいることは、言葉が触れるということ。
どんな言葉がどう触れるのか、手で触れることと同じ。
私はそこも深めていかなければならない。
人は人を避けたいと言いながら出逢い続けているようです。
それをどう受け止めるかはその時々で異なるようですが…
それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!