2019年3月27日(水)
おはようございます
寒さが少し和らいだ気がします。
桜も咲き始めましたし。
妙好人と呼ばれる人(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E5%A5%BD%E4%BA%BA)がかつて云った言葉。
子供叱るな来た道だもの
年寄り笑うな行く道だもの
来た道行く道二人旅
これから通る今日の道
通り直しのできぬ道
私が好きな漫画の1つ【王様の仕立て屋〜下町テーラー〜】vol.2に出てきました。
(どんだけあんねん好きな漫画、というツッコミは無しで)
そしてこの言葉の出てきた次の回ではこんな台詞が出てきます。
叱ることが難しいなら身近な大人が仕事の楽しさ 問題の面白さを教えてやるしかないんですよ
問題を除いてやるばかりが若者の為ではないのですね
これ、大人が考えていかなければならないこと。
保育や教育の現場がどうして子供に強制、制限させてしまい余裕を奪ってしまうのか。
本来なら嫌なことや苦手なことでも目の前の大人が面白がったり楽しんでいると、やるやらないは別でも子供はその場にいた気がする。
それは会社や家庭でも同じ。
大人や上司が楽しさ面白さをただ見せてやるだけでなく、少し言葉を投げてみる。
ディベートではなく対話。
ボールが返ってくるのを待つ。
そう考えると、待てないのは子供ではなく大人の方ですね。
脱ゆとりというけれど、逆に大人にゆとりという幅が必要なのではないか。
そうすれば子供は能動的になるし、教科書で余計な改変してページ数増量せんでもええと思います。
それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!