Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

それって安全やなくて安心したいだけやろ

2023年7月27日(木) 9時〜19時

 

おはようございます

昨日も暑かったけど夕立がすごかった

雨、風、雷

一瞬、水曜どうでしょうで観たベトナムのスコールを思い出しました

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台風6号になると思われる熱帯低気圧がありますね

5号は停滞してるのかな?

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施術予約の際は以下のURLからご確認ください

https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838

随時更新してます

(休診は赤短縮は青ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)

 

受傷161日目

ラジオ体操に行かない Ren

寝てたいらしい

外で遊ぶことが大好きなのに、彼なりに何かあるんでしょう

夏休みは家にいがち

 

夏休みの宿題なのか取り組みなのか知らんけど、組体操の動きと思われるプリントがある

ちょっとした(いわゆる)体幹レーニングまで載っている

これをせねばできない動きなのか?と疑問しかない

便利を享受するあまり、失われていく身体があるなと私なんかは思うんですけどね

こんなことするんやったら、おんぶしたり抱っこしたり肩車したほうがよっぽどええと思うんやけどなあ

 

危ないからとやらせないから余計にできない

危ないことがなぜ起こるのか

経験せんからちゃうの?とはならんのやろか

じゃあ安全ってなんなん?ともなる

たぶん、大人が責任をとりたくない、安心という言葉のもとで子供を守るのではなく大人の気持ちを荒立てないようにするためだけちゃうんか?と私なんかは想像してしまう

安全が保障されなければやらせないというなら、何もできないし、極端な話をすればご飯は食べられへんし、水すらも飲めない

ある程度危険を承知で食べるし飲むし、遊ぶ

その中で境界線を自身で測れるようになっていく

安全と危険の境界には明確なものがあるものとないものがある

ないものは経験がものいう

しかし経験者は明確にその境目を語るし、嗅ぎ分ける

視覚だけに訴えるものが溢れる社会で生きている中では養えないのだろうか

 

そんなことはない

毎日同じ道を通っていると、何か違うことに気づきやすい

その違うことが危険を知らせるものかそうでないか嗅ぎ分けている

日々の暮らしの中で、その人が生きる範囲でもそれはある

言葉や家の中だけでは、映像をどれだけ観たとしても、嗅ぎ分けることはできない

人混みの中を歩くとぶつかる

それだけでも相手がわざとなのかそうでないのか、というのも感じることがある

電車に乗ってもその車両の雰囲気がおかしく感じて違う車両に移ることやその電車を見送ることもある

些細なことと見逃すこともあるけど、その些細なことに自身の五感が養われている

まあそんな細かいことはさておいて、ダラダラ過ごしたいけどね

 

でも最近、家の中で過ごすことで、またスマホなどの画面の中でも危険があるなと思う

外に出ることで知る危険や安全と、画面越しの危険や安全も嗅ぎ分けることも必要な時代

ネットサーフィンも馬鹿にできない、経験となってる、かも

という言い訳を考えてみた

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!