Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

言葉にするって怖い

2019年4月5日(金)

 

おはようございます

関西も一気に桜が咲いていったようです。

SNSで桜の写真を見る機会が増えて知る外の様子。

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今日は20度という予想があるぐらい気温が上がるみたいです。

汗をかいたあとにタオルで拭くなり着替えるなりして、体調崩さないようにお気をつけください。

 

岩田健太郎先生の「ためらいの医療倫理」(技術評論社)

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岩田先生の言葉はハッとさせられることが多い。

56項に【価値観の異なる人達が同じ場に存在することはよいことだと僕は思います。他人にその価値観を押し付けたりさえしなければ。】とある。

私はいつも価値観を押し付けているんじゃないかと怖い。

実際、押し付けていないと思った時にそれが起こっている。

反省では済まない。

そして73項のこの部分にどうすべきか、どうあるべきか示されている。

【「どこにも正しい答えはない。僕の主観(価値観)があるだけ」という理解・納得が生じれば、プロ・ライフとプロ・チョイスが不毛に罵りあう必要はなくなるのではないかと思います。大事なのは、相手の言い分を聞くことで、こちらの正当性を主張することではないと、僕は思うのです。

多くのプロ・ライフ、プロ・チョイスの人たちは、「自分たちは正しくて、相手が間違っている」という強固な信念の故に、どちらも間違っているのです。】

 

知識と経験というのは思考を限定してしまうのではないか、というのを本を読むと考えてしまう。

最近ではSNSなどを読んでもそうなる。

知識は知識、経験は経験、と分けて考えなければならないのか。

ではどうすればそれを分けることができ、それはどこからどこまでなのか、という切れないハサミで紙を切っているようになる。

そこに【どこにも正しい答えはない、あるのは私の主観】を思い出すと消えることはないが靄となっていく。

ただそれを受け取ってみる、真似してみる。

例えそれがその人が言っていることと違ったとしても、経験できたことでまたなにかが湧き上がってくるかもしれない。

それをこちらの主観が、主張が正しいと否定してしまうことはその人の経験を奪うということ。

それでも医療の端くれとして伝えなければならないことがあると思っているのですが、どうやらそれも私の主観として伝えているというところが抜けていると押し付けることになる。

ただ(身体)構造としてあることのみを伝えるしかない(←これが難しい、主観が入りこみやすい)。

 

こうしてブログやSNSに書くことも、人前で話すときも、怖さがどんどん大きくなっている。

いっそ全て消そうと何度も(今も)考えている。

が、その中でもこうして言葉にすることで私がどうあるのかを知ることもできる。

そう思い、消さないでいる。

 

この怖さを忘れずに、人前で伝えること。

誘導ではなく提案。

こうしろ!ではなく、こういうのはどう?という伝え方。

結局、選ぶのはその人だから。

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!

 

 

ヒモトレWS@京都

4月7日(日)10時〜11時半

多目的スペース「ここだけ」(http://kokodake.daa.jp/5access.html )にて開催。

参加費は、5,000円です。

申込みはメール、ダイレクトメッセージ、Facebookメッセンジャー、で宜しくお願い致します。

at-sushi.tsuji-shinkyuin@docomo.ne.jp