2022年4月19日(火) 9時〜19時
おはようございます
気温は気になるけど、それなりに過ごせばいい
筋肉痛もそれなりに・・・とはいかないなあ
施術予約の際は此方でご確認ください
https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838
随時更新してます
(休診は赤・短縮は青・ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)
伊藤亜紗「記憶する体」(春秋社)
表紙の絵は坂口恭平さん
たまらん組み合わせです
読み始めたのはいいけれど【プロローグ:究極のローカル・ルール】から進まない
進まないというと語弊があるな
ここを読み返しているから本題に進まない
というのも施術の問いが立ち上がってくるからその都度止まる
あとね、伊藤亜紗氏がモヤモヤしながらも丁寧にでも確かな言葉にすることを続けている人なので読み溢したくないというのもある
ごく一部の人たちは言葉では伝わらないという
でもそれは言葉にしようとしてもまだそこに至っていないのか、それともハナから言葉にすることを放棄しているのかで全然違う
後者の人は自己満足の世界に浸っているように感じてしまう(自己満足が全くないというのはないけど)
私が凝り固まった概念で受け取れていないからかもしれませんが苦手です
身体と向き合うってどういうことなんでしょうね
筋肉痛になると否が応でも身体の存在を自覚する
痛みを感じないというのは身体を失うことになる?
痛みがないから余裕をもって観察できる?
不便というのは逆に身体がちゃんとあることを知れる?
いやいや便利でも身体がなければそれができない?
色々考えながら、問い直しながら、少しずつ、読み進めていこうと思います
(読み終わるんかしら)
それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!