Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

マイナスから知る

2022年5月26日(木) 9時〜19時

 

おはようございます

昨日はさほどの雨でしたが、ムワっと蒸しました

梅雨が近づいてきました

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施術予約の際は此方でご確認ください

https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838

随時更新してます

(休診は赤短縮は青ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)

 

手のパーグーを伝える手段が少しずつ教わったところに手がかかり出した(私の中の過程の話なのでお気になさらずに)

"できる" 人が伝える時、かつて "できなかった" ところから "できた"、そして "できる" になっていったときを遡るというと語弊があるが、今一度 "できない" を知ることが私の中で大切にしているところ 

できないがわかれば、どこから始めればいいか明確になる

あとはそこから修正していけばいい

もちろんコトはそんなに単純ではないということはわかっています

ここで重要なのは、それが部分でしかないコトなのか、部分ではあるがその実は全体のコトであるか

私がやっているのは後者です

 

私がこういう思考になってきたのは、まあ私自身ができないやつだったからです

そんな中で野球やってないけどイチロー氏に憧れ、その姿と言葉を少しずつ知っていった時に「凡打の中にスランプ脱出するヒントがあった」という言葉があった

『どうしてそうなるのかっていう原因が見える』

『どうしていいあたりが出たかとは考えない、どうしてこれが凡打になったのかっていう答えがはっきり見えればそれを直せばいいわけだから答えがはっきりする、そういやって掴んだものは長い』

 

一つずつ整理できるようになり始めたのは、今思い返せばここだったのかなと

師匠には先人が道を示してくれてるんやから最短距離で行けばいいと云ってもらったんですが、私は要領が悪かったのもあってどうしても自分の足で、目で、歩を進めて抗ってましたが先は一向に見えずでした

だから整理できるようになってから、伝える人と受け取る人の違いが見えるようになり、それを自身に落とし込み始めてようやく道が見え出した

獣道ではあるけれど、それを見つける面白さが糧になっている感じです

そうなんです

最短距離ではないけど獣道も先人が作ってくれていたことに気づけた

施術に限らず他の業界の人や本、漫画から学ぶようになったから知れたことでもある

 

まだまだアンテナを張っているとはいえ、その範囲は狭く偏っているけど

ひとつひとつ整理しながら、できないことを明確にして修正していきます

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!