2023年11月3日(金・文化の日) 10時〜15時
おはようございます
暖かいですね、朝から
施術予約の際は以下のURLからご確認ください
https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838
随時更新してます
(休診は赤・短縮は青・ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)
受傷261日目
帰ってきてしばらくしたら「今日は(左)膝曲がってるで」と誇らしげに云う
うん
ここ2日、曲がってなかったからそう感じるだけで、現状ではそれが当たり前やで
今は、外で遊んでくれたらいいです
それが身体の、組織の、強さになっていくので
家ん中でぼーっとしとらんとね
日曜日は雨らしいし、今のうちに
日々コツコツと、定点観測のように運動に取り組んでいる方とそうでない方と、施術をしていても質が違うことがわかる(ようになったのかな、私が)
過去と比較しても、今は今なのですがね
症状が出ると比較するのはいつも過去
ですが、日々取り組んでいる方はわかっているようです
年齢を積み重ね、衰えていっているのに、症状はあるけど動けていることに
ということは、過去、今より若かったけど、身体としては年齢以上の環境(恒常性・構造・機能・振る舞い)だったんでしょうね
じゃあそれは誰がやったん?となれば、自分自身でしかないんですが
そのことを自覚することも必要ですが、他者に委ねる機会があれば自ずと現れるかと
という意味で、施術を受けるというのは切っ掛けです
まぁ受けたとて、人は受けたいように受け取るので、否定する人もおられますが
身体は経験すれば、無自覚の自覚をしている
人は言い訳する余白を残したいのか、二者以上の選択肢を持つ、持とうとするけど
明確な問いは、二者択一ではなく、それ、しかない
逃げ場はなくなる
辛さを伴う
けど、取り組むことは単純になる
単純になると、その質が問われる
質が良くなると、周りに波及する
部分の取り組みが全身へと
施術では部分も全体も同時にみる
世に溢れる方法論で、部分か全体のどちらかで、全体からと云いながら部分でしかないことは少なくない
とかいいながら、私がやっていることも、部分でしかなく、全体で成り立っているように私が思うようにあらわしているだけかもしれない
というのは弁えているつもりです
つもりかどうかを、また、施術の勉強会や練習会で問うてきます
来週参加したいけどハンドボールの試合に帯同するので参加できないけど
参加した先生方を講師役にして教えてもらいます
それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!