2019年3月5日(火)
おはようございます
ついにカップラーメンの開発に…って、朝ドラの話。
人は何かを思いついた時、ワクワクしてるし目がキラキラしてる。
こどももそうやし、大人も。
伏見にある【絵本のこたち】さんのTwitter (@cotachi_books ) で見かけたこの本と記事。
先日初観戦した京都ハンナリーズのホームゲームでこの記事が載っている京都新聞が来場者に配られていたので驚きました。
で、記事を読みAmazonでポチッ。
息子の毎日の様子を様々な手法でスケッチしていった中で「普通とは何か」と考えを深めていく。
私の弟は知的障害です。
見た目にはわからないかもしれないですが、幼少期から関わる機会が多い私にはなんとなくそれが見えるような、感じるような。
弟の逃げ場になれなかったというのが、私にはあります。
それは息子が生まれ、まもなく卒園を迎えるように成長を見るにつれ強く、そして濃くなっている。
二言目には「普通はな…」と私の中の当たり前で伝えてしまう。
社会のルールを隠れ蓑に子供に「普通は」と説くことがいかに稚拙か。
それはすでに息子の言動や行動に出ている。
成長するのは子供より大人の方。
他者に対して「普通は」と言う場合、裏を返せば自身も「普通ではない」と言っているようなもの。
それを認めたくないから、薄々それに気づいているから怒りという感情で他者より優位に立って正当化するように大きな声を出したり、手を出したりしている。
(本当に許すことができないことで怒ることはもちろんある)
「普通」とは一体誰の、何に対してなのか。
今一度、問い直すこと。
それが大人が大人に成長するための一歩であり、し続けることなのかもしれない。
師匠の普通は「それ以下があってはいけない」という「ベストというのが普通であれ」でした。
毎日がベスト更新の技術。
スランプは今ではなく過去との比較。
今という普通、ベストを。
子供には、今しかない。
それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!