Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

座ると座らされる

2019年4月27日(土)

 

おはようございます

昨夜はバケツをひっくり返したような雨が降ったりやんだり。

南隣が解体した後、外壁の補修がまだなので水が染み込んでこないか心配な夜を過ごしました。

今日はこの後、徐々に晴れると予報は出ていますが、気温がどれほど上がるか、また反動で夜が冷えるか、着る服に困ります。

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昨日は初めての授業参観と懇談会に出ましたが、それなりに楽しんだり緊張したりしているようです。

そりゃ帰ってきたら寝るよな〜という、細かいことが多いのかな?というのも。

小さいうちから覚えておくものなのかもしれませんが、こどもは良くも悪くも真面目ですから程々にしないと爆発します。

学校を息苦しく感じてしまうのが私なのか、こどもなのか、少し考えてみたいと思います。

そこがごちゃ混ぜになっているので。

にしても年間通して学校行事が色々あるから、整理しておかないと大変です。

 

で、学校に行くと教員と児童の姿勢が気になって気になって。

児童はすでにそれぞれの身体に合わせた座り方をしている。

椅子が座りにくいというのを無意識に自覚しているからかな?と。

座るという能動性ではなく、座らされているという受動性。

だから、自身の居心地がいい座り方を探す。

ですがそれは、おとな…教員からすると姿勢が悪いとなり正される。

しかしその教員や大人から見た良い姿勢は、身動きの取れない、要は抵抗できない従順にさせている姿勢。

そりゃ、じっとしてられませんわな。

慣れるな、とだけ。

環境に慣れることも大切(かもしれません)ですが、違和や差異も大切にしてほしい。

「なんで?」は2歳児から始まる、周囲と一緒に改めて考える言葉ですから。

意思表示は聞く側がどうあるかですし。

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!