Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

あ〜

2021年10月13日(水) 9時〜17時

 

おはようございます

夜中の雨で起きたり寝たりの繰り返しで気づけば朝でした

寝たような寝てないような

そんな日が多いなあ

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施術予約の際は此方でご確認ください

https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838

随時更新してます

(休診は赤短縮は青ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)

 

私たちの「やっていること」と「知っている」こととの間には、大きな乖離があることがわかる。学校的知識が役に立たないというのではない。実際そうした知識の積み重の上に、たとえば現代の地図はできている。現代の地図作成のためには、幾何学や測地学や天文学などの知識は必要不可欠だ。だがそれらの知識もみな、結局は身体的・運動的空間から離れて均質化された空間の中に対象を図化するという点では、同じ基本的能力の上に組み立てられているのであり、その根底にある能力については何も教えてくれない。

 

_____企画 ホモ・サピエンス道具研究会「せかいをきちんとあじわうための本」(ELVIS PRESS)_____

 

施術が担っているのは、同じ基本的能力の上に組み立てらていることではなくその根底にある能力、そもそも身体とはどういうものかというところを自覚してもらうことでもである

世間一般的に認識しているであろう身体の話に引っかかりを覚えるのはそのせいなんだろうな

じゃあ言葉だけでそれを伝えることができるかというとできないというのが現状で

実際に触れること、徒手(筋力)検査法を通してお伝えすることしかできない

地道にやり続けるしかない

わかってる

わかってるんやけど…モヤモヤする

私自身が「やっていること」と「知っていること」に大きな乖離があることを自覚していないからかな

あ〜

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!