Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

なにがだいじょうぶなん?

2022年2月2日(水) 9時〜19時

 

おはようございます

いつもより眠い朝

瞼が重い

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施術予約の際は此方でご確認ください

https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838

随時更新してます

(休診は赤短縮は青ゴールデンウルヴス福岡は橙・平常通りは黒)

 

昨日のお昼に食べた一昨日に作った牛すじカレー

久しぶりに美味しく出来上がった

スパイスを炒めたからなのかはわからんけどコクが出た

手間を惜しまないことで一味足すよりも深みがます

 

施術も同じで手数を増やせばいいってもんじゃない

今、どこの、なにに、触れているか

その情報を時差なく受け渡しできているか

大袈裟ではないと思うけど、施術の肝は手技ではなくここだと思うようになった

もちろん、それぞれの手技の精度は必要です

 

弟子の時に患者さんから云われた言葉がずっと残っている

「予約の電話した時に半減、来る道中でさらに半減、院長の顔見たら8〜9割症状は良くなっている。あと1〜2割が先生の腕の見せ所やで」

言葉も言い回しも全く同じではないかもしれませんが、こんな感じのことを施術に来られて受付の椅子に座って云われたことを覚えている

 

安心は受け取る側次第です

施術者は発信する側なので安全となる

じゃあその安全とはなんぞや?というところが、身体の抑が成り立っているかどうかであり、先にも書いた通り「今、どこの、なにに、触れているか」「その情報を時差なく受け渡しできているか」です

 

安全と安心は異なる

発信する側がもし安心を基にするような言葉を用いる時は疑っていいです

安心させようとする言葉は中身がない場合が多い

受け取り方次第で変わってしまうので都合解釈しやすい(発信した側が都合解釈する場合もあるぐらい曖昧)

未知のモノ・コトほど安心に縋ってしまいますからご注意を

 

とまあ偉そうに書きましたが、私自身への戒めです

今一度、安全と安心が違うということを考えて施術をすることの

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!