Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」

京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

ちょっと怒

2024年2月28日(水) 9時〜17時

 

おはようございます

昨日の午前中は雪、霰、霙、雨でした

空気の冷たさもそれなりにあり、部屋の気温が下がっとった

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施術予約の際は以下のURLからご確認ください

https://tsuji-shinkyuin.hatenablog.com/entry/2020/12/31/174838

随時更新してます

(休診は赤短縮は青ゴールデンウルヴス福岡(GW福岡)は橙・平常通りは黒)

 

受傷380日目

昨日のことはさておき

今朝起きたら「学校に行きたくない」とのこと

体調が悪いわけではないらしい

気持ちが「行きたくない」という

私が子供の時は休む選択肢はなかったので、Renには休みたかったら休んでいいと伝えていたから構わない

どう過ごすんでしょうね

テレビもゲームも先日の嘘でしばらくは観ることもすることもできませんし

私は仕事があるから構ってあげることはないし

にしても、ええなあ

 

誰も望んでない

というのは言い訳でしかない

何をするにしてもつまるところ、私がどうしたいか、どうしようとしているか、だけ

それが家族、地域、社会、国、でも同時に生きるから、他者との関係があり、私がしたいことを制限されることがある

それも言い訳にはならない

制限がある中でどうやったらできるか

 

身体も、自由がいいというけれど、自由とは何をもって自由としているかで変わってくる

抑、身体の恒常性・構造・機能は常にそこにある

制限をかけているのは他の誰でもない自分自身である

制限をかけているから自由を求めてしまうのだろうが、身体には自由もクソもない

(あ、糞は出る)

ただそこにあり、営み続けているだけ

 

勝手な解釈で、何かを試したら調整がなされたというのを見聞きする

いやいや、それは抑、身体がやってることで、何かを試した結果、それを邪魔していた、負荷をかけていたことが減っただけ

(まともな施術は賦活するけど、それも抑の身体ありきです)

何かを試したことによって明確になるのは抑の身体であって、その試した何かではない

にも関わらず、物売りというのはその試した何かに価値を置く、喧伝する

私が身を置く施術の業界も例に漏れずそうである

嫌気がさす

仕事なのでもちろん稼ぐことは必要である

が、それを言い訳にして、抑の身体を何もみず、症状にしかフォーカスしないのは仕事を放棄していると言わざるを得ない

ましてそれを国家資格をわざわざ専門学校に、大学に通って取得している人がやっているからタチが悪い

独学で学んでいる素人の方がよっぽどまともである

 

とまあ書いてはみたものの、私もそうしているから自戒をこめて書いた

私はワタシに対して怒りをぶつけてみた

これも一種の自傷行為というのだろうか

わからない

わからないけど、私がやりたいこと、やろうとしていること、やらなければならないことを整理するには必要だと思っている

内容が内容だけに気分を害された方がいたらごめんなさい

 

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!